窓の外、凍りついた月。誰かが弾くパイプオルガン。奇妙な旋律が城の奥底から扉まで溢れている。彼女の最も愛する全てを詰め込んだ、かなしい城だ。
「起きましたか」
「   」
 天蓋つきのベッドから身体を起こした少年は魔女を見て瞬きをした。完全には目覚めきっていない茫洋とした顔つきに笑みが漏れる。まだ寝ていても構いませんと頬を撫でれば、獣が擦り寄るように瞼を閉じた。
 時間。この城の中では、時間など意味はない。やがてくるものもすでにすぎたものもこの城にはない。あるのはここだけで通用する全てのみだ。
 くすくすと「むかし」を思い出す。少年をこの城に招いたのは、彼が姉を探していた時だった。不安げに迷うまだ幼い少年を門まで迎えたのも懐かしい。魔女の手を握り、灰青の瞳を魅入られたように大きく開いていた。
 姉など、実際には存在すらしないというのに。少年の魂は「少年」を忠実に模し、そして時間の魔女に囚われてしまった。魔女の人形もそこには存在するのだろうか。いや、そんなことはどうでもいいのだ。
 今ここに存在するのは少年だ。時間の魔女の騎士である、少年。彼に名前など必要ないし、騎士を得た魔女にも名前の意味はない。ここに少年は彼しか居ない、魔女もまた彼女しか存在しない。識別のための名などいらなかった。
 ただこの城があればよいと考えるようになった自分に魔女は少し驚いてもいる。この城に彼と生きていければ他の時間になど興味はない。唯一絶対の孤独を癒す少年がいれば良かった。
「可愛い可愛い私の騎士。ゆっくりお休みなさい」
 囁けば頷いて彼は再び瞼を閉じた。胎児のように丸くなって眠るのは昔からのことだ。微笑ましい寝顔にキスをする。そういえば最近はあまり丸くならなくなったような気もする。
 解いた長い髪を邪魔にならないよう一つに結んでいると、リボンが手から抜き取られた。繊細な動きで髪を梳かれると綺麗に纏められる。
「寝てて良い」
「これくらいはする」
「ふふ、昔と変わりませんね」
 幼い頃に一番最初に彼に任せた仕事が髪結いだった。小さな掌で一生懸命に結ってくれたことを思い出す。彼の全ては魔女のものだ。愛も、恋も、夢も、そして恐らくは憎しみさえも。
 騎士として魔女の傍に侍る少年は時々、複雑な瞳で魔女を見る。自分を愛するようにゆっくりと仕向けた母を恐れるているのかもしれない。だが手放す気は全く無かった。繋ぎ止めるために何でもしようとうっすらと嗤う。
 結い終わった彼はまたベッドへ倒れこんだ。その髪を撫でながら、「みらい」を考える。
 何もなかった、少年以外には。
 そんな自らを憐れむと魔女はバルコニーへ向かった。月が美しい。当たり前だ、魔女が最も愛する月が永久へ凍り付いている。
 結局のところ、魔女はおんなだったのだ。遠い昔、それこそ永遠を生きていると自分でも錯覚する前には魔女は一人の女だったような気もする。今また、おんなに戻っただけの話だ。あまりにも魔女で居た時間が長すぎてもうどのように振舞えばいいかなど忘れてしまった。
 少年は魔女を母にして女に戻した。唇に触れれば、彼の唇の感触を思い出す。
「騎士、行きなさい。侵入者だ」
「仰るとおりに」
 手早く武装した少年――持つのは美しい銀色のガンブレード――へ振り向くと、魔女は彼の手を取った。薄いガウンの下の乳房の向こう、心臓へ宛てる。
「必ず、帰るのですよ。傷一つ許しません」
「かしこまりました」
 忠実に応えた彼の唇に触れる。僅かに躊躇った後口を開いた少年の口腔を味わうと、手を放した。
「行け」
 少年は、魔女の騎士。灰青の瞳に端正な顔を持つ少年は、魔女の騎士。幼い彼の言葉を思い出す。
『ずっと、いっしょにいてくれるの?』
 侵入者を屠るために向かう彼の背中を見つめながら、魔女は答えた。
「望むのなら、永遠に」


ヒノ様からのリクエストで「アルスコでスコールを育てて部下にしているアルティミシア」でした。ディシディアと8の境目みたいな感じで……。
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2009/03/03 : アップ