小さな世界だ。本当に、小さな世界。四角四面の小さな小さな世界。絶えず移り変わる世界の色合いはくるくると美しい万華鏡だ。作り物の自我が一番最初に知ったのは、デジタル変換されてもなお美しい空の青だった。
 小さい、という形容は相対的なものだ。何を相手に小さいと呼ぶか、それは各々の選択に任される。もしかしたら、スコールが見ているものは誰かにとっては大きい世界なのかもしれない。
「相変わらず難しいこと考えてるなあ」
 目の前という言葉は実際には正しくない。スコールには実体が存在せず、人間の視神経の代わりになるような、スコール独自のシステムがないからだ。しかし比喩的に用いるなら、彼は目の前にいた。スコールのプログラムを動かすために作られたコンピュータが置かれている部屋の、監視カメラの前だ。あろうことか家庭用のコンピュータより大きいサイズの箱のひとつに座り込んでいる。
 人間の体重ならば問題はないだろう。だが、彼も人間ではない。
「あ、今軽量化の実験でだいぶ軽いんだよな。まあそれでも100キロは超えてるけど」
「降りろ」
「えー。慣れないからちょっと落ち着いてたいんですけど」
「座っている方が制御は難しいだろうが」
 スコールはAIだ。デジタル世界の住人であり、コンピュータの中で走るプログラムである。電子部品の小型化が進んだ今、バッツのような自我を持ち思考するアンドロイドは珍しくない。かといって街中でアンドロイドを見かけることはほぼないに等しいし、ニュースで逐一動向が取り上げられもするが耳慣れてしまった程度である。官公庁のオフィスに行けば一体程度ならば見受けられるぐらいだろうか。
 そんな高性能な部品たちでもやはり限界というものがある。解決できるのはこれからの発展が見込まれる量子コンピュータぐらいだろう。今現在そんなものはないのだから、スコールの仕事に必要な演算能力をまかなうにはやはり一部屋を埋めるコンピュータ群が必要なのだ。
「つっても、スコールが今使ってるのは半分くらいじゃんか」
「……うるさい」
 仕事と言っても、それは自発的に行っているだけのものだ。元々スコールはひとつの建物や街を制御しセキュリティの管理を行う事を想定して作られた。SFの世界に出てくるマザーコンピュータ的な役割を担うためのプログラムなのだ。実在の街の全てを手を抜かずにそのまま仮想世界に映し出す、膨大な演算を制御し対人インターフェースとして機能することが本来の目的であり、この一部屋を占有する理由だ。
「全く、おんなじとこ勤めてるんだから完成させりゃいいのに」
「もう予算が出ないそうだ……ついでに、未完成なのはパッケージだけらしい」
「……それって、スコールは完成している、ってこと?」
 監視カメラの横に取り付けられたモニタをバッツは見上げているのだろう。スコール自身が人間と違う動作に違和感を覚えないようにとこの研究所の人間たちは苦心している。その努力には感謝するが、視線が合うという言葉と、感覚の誤差はどうしても拭えない。
 モニタに映している対人用のキャラクターを頷かせた。はあ、と気の抜けた声を出したバッツは不可解な顔をした。まるで人間のような表情である。
「なんだ」
「や、その性格で……なに、完成だったの」
「俺に言ってもどうしようもないだろ」
「そうなんだけど。それでティーダ作ったんだとしたら、極端だよなあ」
 自分と同じプログラムだけの存在はもう一体いる。確かにあちらのが人当たりはいい。
「ティーダは汎用だろ。俺は役目を果たすくらいでしか」
「あ、なんか自虐してる?悪い、別にスコールがいいとか悪いとかじゃないんだよ。おれは今の性格のスコールが好きだし」
 言葉に詰まる。
 小さい世界で、スコールはいろいろな感情を知った。感情プログラミングが得手ではないと自覚していたスコールの作者は感情の部分を学習するように作った。つまり、スコールを使用する相手が性格を作り上げる。はずだったが、納品されなかったスコールは人との接触が少ないこの研究所でどこかねじれて育ってしまった。
 研究所、でありここは会社ではない。売上や利益は度外視されている。そして、研究員たちはとてもアンドロイドやロボットを愛していた。人間と同じようにアンドロイドたちが扱われることを願い、感情と心を作り上げた。それは、プログラムにとって非常に不可解な動作も含むのだ。スコールの目である監視カメラの前で困ったように笑うバッツはその不可解さをすでに乗り越えているのだろう。
 ヒューマノイドで実体を現実世界に持っているだけ、が理由ではない。衛星の目は空の青さを知らない。制御出来る範囲にある監視カメラは、空を写せない。
「たださ、未完成で放置されてる、っていうのが通説だったから。だったら、綺麗に作ってもらった方が嬉しいだろ」
 見つめるバッツの瞳は人が持ち得ない瞬く紫と榛色だ。初めて起動した時に、彼にスコールの目は繋がっていた。この瞳からスコールは空を見て、そして自分が持つ世界が小さいことを知った。
 デジタル世界を視覚情報に起こすのはプログラムの意思だ。望めばスコールは幾らでも虚構の世界を作り出せる。それだけの演算能力を持っている。だがスコールはそれを望まず、たまにティーダに強請られたときにしか作り出さない。あの空の青は仮想空間で作ることができなかった。感性というものがデジタルであったとしても、焼き付いた青のいろは本物だ。
 スコールの世界で周囲にあるのは、外とのリンクである小さな窓たちだけだ。その中の一つからバッツは覗いている。研究所内部の他の監視カメラから送られてくる映像には、研究員やバッツと同じようなアンドロイドが見える。そして、研究所が所有する人工衛星からの映像。
 人間や他のアンドロイド、ティーダから見ると広い世界かもしれない。
「じゃあ、未完成なのが不安ってわけじゃないんだな」
「違う……」
「まあそんなこと言ったらおれなんか永遠に未完成だしなあ。実験機は辛いよ」
 狭い、と思う。ティーダはプログラムではあるが、体が完成すればそちらに移る。スコールに与えられている小さなドロイドでは大きな世界を知ることはできなかった。
「なあ。もしさ、おれが『こっち』でスコールの手を握って大丈夫だよって言えたら不安じゃなくなる?」
 カメラを透かして、バッツがこちらを見据えているように感じた。感情。プログラムにそれが必要なのか分からない。これがあるためにスコールは苦しんでいて、これがなければ空の美しさもバッツの言葉の意味も理解することはできない。
 小さな世界で処理をするには、少しだけ、難しい。自身の演算能力、動けない枷をスコールは疎ましく思った。ただの機械であればきっと、誰よりも自由だった。


ツインシグナルインスパイア。スコールってなんていうか、不思議な檻を自分で作ってるイメージがあるんです。
2010/03/16 : アップ