万魔殿に風が吹き込む。ざりざりと不快な音を立てて開いた扉は、またざりざりと不快な音を立てながら有機的に閉じ合わさった。見返せば扉ではなく鏡にしか見えない。鏡面に指を立てて閉じ目があった場所を撫でる闖入者は微かに光の残滓を纏わせていた。
 とはいえ、本当に微かで振り返れば消えてしまうほど。しかし彼が調和の陣営に在ったとしても、誰も疑念は抱かないだろう。
「おいで、スコール」
 クリスタルのオブジェの陰、最も奥まった場所から声がし、闖入者は闇に光る金色の瞳をそちらへ向けた。もう一度響いた耳ざわりの良い声に無言で頷くと革靴を鳴らす。蜂の巣に似た壁が光の粒子を受けて収縮し闇を吐いた。
 表情の抜け落ちた顔は険しさの欠片も無く、ただ何も知らない子供の、あるいは心の一部を閉ざしてしまった者たちの顔に似る。声の主を一心に見つめて歩く足取りはしっかりとしたもので、顔に浮かぶ白痴めいた情動のなさからは想像できない。整った容貌だがどこか歪んでいる。それは、彼を呼ぶ声の主も同じことだ。
 瞳の凍りついた笑顔を浮かべたまま呼びかける男はその言葉しか知らないかのように少年の名を呼んでいる。
「スコールおかえり」
「……ただいま、バッツ」
 小さな声に満足げに頷くと、傍らに座る金の髪をした少年の頭を撫でた。何の反応も見せない少年はスコールのアクセサリーが鳴る音に一瞬だけ肩を強張らせ、また人形のような無反応へ戻った。見つめる二人はその間だけ息を止め、やがて彼の反応があったことが嬉しいのだろう笑顔を浮かべたままの男がくすくすと声を出す。ああ、ジタンが動いたよ。そう呟くとバッツはスコールへと手を伸ばした。
 逆らわずに手の通り跪けば、バッツの手はスコールの後頭部へと回される。近付く唇に一度だけ息を吐いた少年は、作り物の瞳に僅かな熱を見せた。しかしすぐに瞳は伏せられ、鼻に掛かる呼吸音が暗がりを支配する。
 満足げに顔を離したバッツは、相変わらずの凍てついた瞳を歪ませた。
「俺と、スコールと、ジタン」
 嬉しそうに歌うとスコールを抱き寄せる。寄りかかるジタンを愛しげに撫で、バッツの手に擦り寄り瞼を閉じるスコールの体を拘束し、もう一度歌う。
 三人だけ居れば、何もいらない。

 壊れた男の話を静かに聴いていたセシルはそのスミレ色に切なげな色を浮かべた。勿論、話し手はそんな表情をさせたかったわけではないが、彼に話す時点でその姿を想像はできる。
「悪い……」
「いや、構わないよ。むしろ、君にこそ辛い思いをさせてしまっていると思うと」
 ジタンはその言葉に首を振った。あの二人を見ているのは確かに辛いが、そして儘ならぬ己の身もまた辛いがそんなことは問題ではない。
 調和の神は確実にその力を薄れさせている。彼女の力をもって召喚されている自分達にはよく解ってしまう。あの二人はどうか知らないが、なんとなく同じ側であることを感じる。
「洗脳されるというのは、辛いことだ。それを利用している僕は君に酷いことを強いている」
「気にすんなって。俺がセシルに頼んだんだからさ」
「強いな、ジタンは」
 そう、死神と徒される青年に心を壊される寸前まで洗脳されたジタンはそれでも自身を見失っていない。時折正気に戻っては、ふらりと混沌の情報を流していく。そして、壊れきった二人のことをセシルへ相談する。
 どうにかして救い出したい。そう思うのはセシルも同じだ。クジャからジタンを奪い取ったバッツも彼に従順に従うスコールも混沌の陣営において異彩を放っていた。三人を別とうとする者だけに襲い掛かる狂犬染みたバッツに、バッツの言うことならば真になんでも従うスコール。
 知っている。二人が、もっと優しい関係で笑い合っていたことを何故かセシルもジタンも知っていた。
「……そろそろ、戻るわ」
「うん。気をつけて」
 ふらふらとした足取りで闇へと向かうジタンに、セシルが出来るのは無事を祈ることだけ。


お人形ジタンは正義。
2009/06/15 : アップ