ライナーノーツの向こう側

 店を出ると、すでに陽は四十五度。暖かな色を帯び始めた光に時計を見た。
 顔を赤くして横に立つスコールは小さい声で謝罪している。中々ファミレスでここまでの金額をたたき出すのも難しいだろう。だが、とバッツは首を傾げる。
「金額って意味じゃ予定よりは少ないから気にすんな。おれ高給取りなんだぜ」
 一瞬疑うような目をした少年に苦笑する。慣れた反応である。そもそも働いているかどうかすら怪しいと面と向かって告げられることもしばしばなのだ。
 確かにスコールを拾ってから仕事には出ていないが、休暇だったのだから仕方ない。明日からは仕事詰めである。
「他にはどっか行きたいところある?」
「…………あんたは、ないのか」
 少しだけ宙を見る。行きたいところはあるが、スコールにとってそこが興味深いかどうかは不明だ。そんな逡巡を感じ取ったのか青い瞳が瞬いた。
「どこでも、構わない」
「悪い。つまらなかったら、すぐ言えよ」
 懐から伊達眼鏡を取り出して掛ける。不審な目をしたスコールに男前だろ、と言えば呆れたような顔をされた。
 言っても信じないかもしれないので、掛ける理由は黙っておく。
「じゃ、行くか」

 店内にはクラシックが流れていた。哀しげなヴァイオリンの声が旅の歌を歌い上げている。狭い店内を繋ぐ階段を登ると、お目当てのコーナーである。スコールはと言えば、物珍しげに周囲を見回している。あまり興味が無いというよりは、触れたことが無い分野のようだ。
 たくさんのジャズのレコードを前にしてバッツは腕を組んだ。
「んー、ないなー」
「何を探してるんだ?」
「おれが勝手に師匠ってあがめてる人の盤。もう持ってんだけどさ、CDじゃ気分でないっていうかなー」
 幾つものジャケットをめくりながら探してみるも、やはりない。諦めてずり落ちた眼鏡を元に戻すと、横で手持ち無沙汰にしている相手を見た。
「スコールは何か聴かないのか?」
「ああ、ずっと」
 一旦言葉を切ると、唇の動きだけで犬だったから、と告げる。それでは確かに音楽を聴くどころではないだろう。
「じゃあ今度おれのピアノ聞かせてやるよ」
「…………楽しみにしておく」
「めっちゃ疑ってるなー。今流れてるのとか、どう?」
 店内のBGMは佳境に入り、技巧の凝らされた演奏が華やかなメロディーを彩る。情熱的でユーモラスで、それでもどこか陰のある名曲だ。素直に首を傾けて聴くスコールがあの有名なマークを思い出させて、バッツは頬を緩ませる。テリアが蓄音機に耳を傾けるマーク。あの可愛らしい耳がどうなっているか、ハンチングを取り上げたい衝動に駆られるが手が伸びる前にスコールが口を開いた。
「好悪は、よく解らないが。聴いていて不快じゃない」
「なら好きってことだと思うぜ」
「……強引だな」
「色々聴いてみれば、その内解るさ」
 目当てのものはなかったので店を出ることにする。階段近くの新盤のコーナーに差し掛かったとき、一際高くヴァイオリンが歌った。スコールの視線がある場所に固定されたのを見て、バッツは内心溜息を吐く。
 その煙る灰青の瞳が見開かれてバッツを見つめる。流石に居た堪れなくなったのと、他の客が不審な目を向けてきたためバッツは袖を引いて階段を降り、隣のゲームセンターへ逃げ込んだ。
「あ、んた」
「言ったろ、高給取りだって」
 最近休暇だったのは新盤を出したからだ。様々な筐体の奏でる不協和音が驚く二人を取り巻く。とりあえずプライズマシーンを見ている振りをしながら、バッツは肩をすくめた。
「あんまりアルバムとか出す柄じゃないんだけどな」
 ジャズの本領はアドリブだ。ジャズという言語に合わせたアドリブがスウィングとなり人々に伝播していく様がバッツは好きだ。会場に居る人間と人種と言語と立場を超えて分かり合える瞬間が好きだ。だからこそメインの活動場所はコンサートやパーティ、またレストランなどに絞っている。だが新進気鋭の天才ピアニストなどという肩書きはそれだけ、を許さない。
 友人に上流階級が多いせいで仕事面の不自由は全くしていないし、金銭面も同じである。むしろ自分には過ぎた評価だとも思っている。
「一応ああいうところじゃ、顔知ってる奴もいるからさ」
 そういって眼鏡を持ち上げれば、スコールは目を伏せた。
「悪かった」
「気にしないでいいよ。スコール来てから仕事してねえし」
「そういえば、ピアノ」
 今度聞かせてくれ。そう言ったあとにバッツを見つめた真剣な瞳に、胸がそよいだ。


いい加減家に帰らないとボコ様が怒るよ!
2009/04/01 : アップ